index / home / report index / Fine@Sydney-1st / -2nd / -3rd / -last /

SYDNEY SURF REPORT

special edition
by URBAN DINGO RECORDS


TeamFineがやって来た!
Fine@Sydney
2001.12.23
 
report : Supervegemate
edit : Hi-Roo

 
久しぶりのシドニー・サーフリポート、みんなお待たせ〜。でもマジ記事になるようなことってなかなか無いんだよなあ・・・ええっ?波乗りで忙しかったんだろうって・・・言えなくも無いぃ(^_^;)・・・スマン。さあ、今回なんだけど、日本から取材にきたスタッフを逆に取材してみました。知ってるだろうけど女の子の月刊誌Fine(ファイン)ご一行様。僕の住む地区のサーフィン事情の取材という事で、この私めにコーディネーターの仕事が舞い込んできたってわけだ。まあココだけの話、実は今年からオーストラリア情報ということで毎月Fineに記事書いてるんだけどね。その延長の仕事というわけでした。さてそれでは本題。ちょっと長いけどポイントの事なんかも触れてるし、サーフィン界のレジェンド達も登場するので、どうか最後まで読んでちょうだい。あっ、それとみんな感想とか質問など、どんどんゲストブックに書いてくれないかなあ。あそこ寂しくって・・・(T_T)ねっ。ホントお願いします。
 

 
North End of Sydney Northern Beaches
シドニー・ノーザンビーチーズの深いポイント
11/19(Monday)
 

 
まず最初に余談を一つお話しておきますかぁ。シドニー最北部・ノーザンビーチーズの北の行き止まりは、シティーから僅か40キロの距離なんだけど、緑生い茂る深い森とサーフィンには理想的な大小様々な湾が連なっているんだ。まさにサーファーズ・リアルライフが実現できる世界でも数少ない聖地のひとつだね。 ここはビジターが容易に入れる土地ではないんだけど、じゃあダメなのかと言われればそうでもないはず。ツーリストであることを忘れずに、礼儀正しく、"時にカミカゼの如く(* ゜Д゜)" 突っ込む!・・・そうすれば、オコボレにせよ、なんとか波にありつけると思うよ。しかも最初にしては充分過ぎる程、良い波のはず。 でも、現代サーフィンを築き上げたレジェンド達、人生を賭けてサーフィンの為にこの地に移り住んで来た者、ここで生まれ育って3世代目になるキッズ、そんな人達が住むポイントを遊び半分で訪れる事は危険でもあることを忘れずにね。(・・・尖がったリーフが水面下に隠れている) さて、脅しはそれ位にして、ここに住むうるさい親父サーファーどもは、1960年代アメリカでヒッピー・ムーブメントが盛んな頃、その影響とともにこの、"愛と平和と自然(Love & Peace & Nature)"の空気に包まれた大陸・オーストラリアで育ってきた人達だ。ある意味真のフラワー・ピープルといえる。ベトナム戦争が泥沼化し、ヒッピーの理想が本国アメリカで絶望に追い込まれていた時、その理想の世界を別の場所で摸索しつづけていたのが、このオーストラリアのサーファー達だったわけ。あるがままの自然を大切にし、海とともに暮らす・・・。そう、ヒッピーの理想はサーファーの理想に通じるんだ。21世紀にまで地球に生き延びてきた彼らはまさに「ニュー・フラワー・ジェネレーション」(NFG)なんだなあ。そして僕らは、こんなに素晴らしい文化を是非日本のみんなに紹介したいと、アーバン・ディンゴ・レコーズを設立したですよ、ハイ。サーフ文化としての音楽とOZサーフィンそのものをね。宣伝になっちゃったな、こりゃ。
 
チームFine御一行がやってくるその日。最初から写りの悪いショットで恐縮だけど、僕の秘密基地から見た朝焼け。うねりは南から。デカい。

  さて、19日の朝、8人乗りのレンタカーを飛ばして空港までFineご一行をお出迎え(以後チームFineと呼ぶ)。ところが前日から天気が崩れ始めて、今日は朝からバッドな雨模様。昨晩は稲妻が闇夜に走りつづけて、いつまでも見とれていたので睡眠不足。でもチームの若い面々、特にモデルでやって来た女の子(ギャル)達の笑顔で何だかウキウキ・・・目も覚めようってナもんです。(失礼)
WELCOME TO SURFER'S PARADISE! さらに滅入りそうな雰囲気を吹き飛ばしてくれたのは、1989年度ASP世界チャンプのバートン・リンチ親父だった。なんたって1991年にはバックサイドでリップカールのベルズで優勝しているレジェンドだ。彼の自宅を最初に訪ねたのは賢明だったね。うれしい事に明日からハワイ・ノースショアー入りするオーストラリアン・サーキットトップランクのボー・ミッチェル(18歳)がたまたまバートン宅に来ていたんだから。
みんなでバートンがホストを務める超人気のサーフィンTV番組「RA」を観賞。レベルの高いシーンの連続でみんな度肝を抜かれる。ため息混じりに「同じサーフィンでも見てるものが違いすぎる」って。そうだよなあ、僕もここに住んで長いけど、ホント、サーフィンってさあ・・・。
あっ、例によって写真はクリックすると大きく見れるよ。
   
次に、バートンの愛車Valiant(1960年代製)で雨のウェールビーチ(A)に。生憎の雨と強い風の中、困難なコンディションを攻めるサーファーが右手のウェーリーに入っていた。この波でも乗っていくから良い波の時はさぞスゴイ事をやるんだろうね。しかも恐ろしい事に僕らが想像する以上の事を成功させていくから目を見張るばかり。
その後、バートンとボーの案内でアバロンのローカルサーフショップ「Beach without sands」(1)へ。店長のDavidがFineモデル達に一瞬見惚れて・・・堂々と見惚れるだけあって、このオヤジ、サーフィンも上手いんだよ。何度もアバロンで見たけど、渋くてウマイ。ここではバートンの撮影なんかをして、次はシドニーでもハードなリーフブレーク、リトルアバロンをチェック。海は真っ白!!!それでも元気に「サマー」と雄叫び! ここでバートン&ボーとは別行動に。最後に、バートンが「この辺りはビジターでは簡単に乗れない。ローカリズムも強いから、その辺も理解して欲しい。」と一言。ウン、そうだよなあ、僕も受け入れられるまで大変だったもん。
 
1989年度世界チャンプのBL先生と、そのBLがコーチをするボー・ミッチェルと一緒に。右から、BL先生、ナンちゃん、松本ノリ、ボー、マサチン、美鈴ちゃん、ミドリちゃん。ちなみにボーは翌日、ハワイ・ノースショアーへ旅立った。それと、BLの足元を良く見て欲しい。オージーは普段靴なんか履かないのだ。
ココをクリックするとマップが出るよ。Javaは切らないでね。
 


大雨の中BLの案内で、アバロンから北のサーファーご用達のショップ"Beach Without Sand"へ。ついでにBLの紹介用写真も撮影。フォトグラファーは、リーさん。シドニーに住むカメラマンだ。
  アバロンのハンバーガー屋で遅いランチ。腹ペコ!でケバブに食らいつく。超ビッグサイズ!!それでも全員が、巨大ケバブとハンバーガーをペロリと平らげた。間違って運ばれてきたコーヒーは結局タダに・・・、アバロンはこんな自由な空気が流れるビーチタウンなんだ。  
今日の波みたいに、デカいケバブとバーガー。もう満腹だ。
     
 
Fineモデルのサーファー、ナンちゃん。アバロンのハンバーガーショップでのワンショット。よく気の付く優しいサーファーだ。


PICOの経営するレストラン、フィッシュボーンにて。左から、PICO with Daizy、 ミドリちゃんwith Jaffer、美鈴ちゃん、松本ノリ、そしてナンちゃん。   さあ、そしていよいよ、そのアバロン(B)を代表する、というかオーストラリア・サーフィン・サウンドの頂点に立つPICOを訪ねよう。場所はアバロンで一番人気の無国籍レストラン「フィッシュボーン」(2)だ。そう言えば、さっきバートンとの別れ際、「PICOに会う?」と驚いていた。PICOは、まさに伝説のアーティストなんだ。僕らが彼と契約できたのも奇跡といえるかもしれない。
  その店は彼が経営していて、内装などは全てPICOとフィアンセのディーが作ったらしい。潰れかかったこの店を買い取り再びオープンさせたのが今年の5月。料理人として一流の腕を持つディーの協力もあって、今では連日満員。一度はここでディナーを取ってみたいもんだ。
PICOが音楽を担当したリップカールのサーフ・ビデオ「サーチ」にも一瞬登場するPICOの愛犬、チワワのデイジーとジャファーも開店前のレストランで戯れていた。ちなみにデイジーとジャファーは恋人どうしだ。 (PICOについて詳しくは、このホームページ内のライナーノーツを参照してね。) 実はこの時、PICOにニューフラワージェネレーションについてインタビューしたんだけど、それはまた別の機会に、ねっ、リポートするのでよろしく。
 

全員で。真ん中の女性がPICOのフィアンセのディー。
   

少年サーファーのような雰囲気のミドリちゃん。PICOがFine一行の訪問を受けた後に言っていた。「モデルさんが来ると言うからガリガリのスーパーモデルをイメージしてたんだけど、彼ら彼女達はすごく健康的で自然で、サーファーだよね。感じ良かったよ。」
  次に向かうは、アバロンの隣町、トム・キャロルの住むニューポート(C)のサーフショップ、Surf House(3)。ここは4年前までクイックシルバーの本店だっただけあって店の作り、品揃え、そりゃあもう通好み。しかもセールの商品は安いから仕事を忘れてショッピング。だんだんFineらしくなってきたね。
経営しているのはアバロンローカルのマイケルとオーウェン兄弟。彼らを慕って来る常連客がとても多くて、これまた2人とも優れたサーファーときてる。ちなみにこの兄弟はクイックシルバー本店時代からここにいて頑張ってる。余談になるけど、後日そばのビーチでマイケルに会ったら開口一番、「ミドリと美鈴は帰ったのかい?」だって・・・おい、マイキー!俺の名前覚えるのにいったいどれだけかかったんだっけかぁ?!
 

さて、シドニー・ノーザンビーチ一番のコンペティションの場、ノース・ナラビーン(D)(トライフィンの発明者サイモン・アンダーソン、元世界チャンプのダミエン・ハードマン、ノーザン・ウェブスター、ヘッジー、クリス・デビッドソンなど新旧トップサーファーを常に輩出している恐怖のエリア)のビーチへ行く前に、ここの主(ぬし)であるホット・バタードの本店(4)を訪ねたのは我ながらウマいと思ったね。もしもビーチで撮影という事になれば、ノースナラでは絶対セキュリティーが必要となるからさ。HB(ホット・バタード)に同行してもらえれば、撮影に文句を付ける奴などいない。まあコーディネーターなりに考えているわけだ。  
トム・キャロルも住むニューポートビーチの入り口にあるサーフハウス。元クイックシルバーの本店だった。ちなみに今でもクイック代表の住所はニューポートである。一番右がマイケル。優れたサーファーとして長くこのエリアのサーフィンを支えている。
 
  Fineらしくホットバタードのショップ紹介。オーストラリアの雑誌でも滅多にインタビューに答えない、ある意味メディアを好まないカイ・フィッツジェラルドまでが先頭を切ってポーズしている。カイが、どれほど完成されたサーファーか知る者にとっては不思議に映る光景であった。Fineらしくホットバタードのショップ紹介。オーストラリアの雑誌でも滅多にインタビューに答えない、ある意味メディアを好まないカイ・フィッツジェラルドまでが先頭を切ってポーズしている。カイが、どれほど完成されたサーファーか知る者にとっては不思議に映る光景であった。

  店番のキリン・スプレンダーは茅ヶ崎や長野にも居たことがある日本通で、もちろんプロサーファーだ。で日本語バリバリだから、みんなホット・バタードへ行けば英語で悩む事もなく適切なアドバイスを得られるよ。そして2階から下りて来てのはソウルサーファーのカイ・フィッツジェラルドだ。カイはノース・ナラビーンの大親分テリー・フィッツジェラルドの3人息子の長男だ。  
カイの案内で秘密のシェープ部屋を覗きに行くと、何とホット・バタードの創設者で現代サーフィンを創り上げたマエストロの1人、テリー親分が現れた!普段は、迫力ある寡黙さで多くを語らないテリーだが、雨にも関わらず機嫌が良くって、ホッ(^_^;)。キリンが気を利かせて「せっかく日本から来たのだし、テリーさんシェープしている振りをしてくれませんか?撮影ですから」・・・すると親分は「振りなどはしない」とキッパリ。一瞬固まろうかとおびえていたら、削っている最中のブランクスを手に取ってボトムの説明をし始めた。コーンケーブ、Vボトム・・・思えばこの人が最初にこんなシェープのボトムやショートボードの時代を作り上げたんだよなあ。彼自らボトムの解説をしてくれるなんて、ホント聞けるだけでも奇跡だったね。第一テリーがシェープボックスに人を入れる事なんてまず無いだけに、超貴重な体験が出来たんじゃないかな。その後「明日はでかくなる、皆でサーフィンしよう」と誘われてみなウットリ。でも板が6.4じゃ短すぎるか・・・ガンがいるかなあ?  
本来なら完全なシークレットのはずのシェープルーム(TFはシェープボックスと呼ぶ)でワイワイ雑談していたら、神様TFがやって来た。「こりゃ、マズイ、怒られたら最悪だ」と思いきや、いつになく上機嫌で助かったあ。TFは「おい、キリン、ここは日本語で通訳を頼むぞ」。言われたキリン、笑いながらも超真剣。目が泣きそうになってた。

  大先生、神様、偉人、レジェンド、何と表現してもその枠には収まりきれないTF自らがコーンケーブ、Vボトムについて説明をしてくれた。夢のような光景だ。  


NEXT


index / home / report index / Fine@Sydney-1st / -2nd / -3rd / -last /


掲載されている画像、写真等の複製、転載は、これを固く禁じます

Copyright © 2000-2003, Urban Dingo Records, All rights reserved.